安政の大獄の最中かぁ
June 2, 2009
今日のグーグルのロゴは、『横浜開港150周年』に因んだものみたい。
興味に誘われて覗いた「開国博Y150」の公式サイトによれば、開国・開港したのが1859年、安政6年のこととある。

ここのところ、幕末・明治維新のことを調べていて、「あれ、安政6年って『桜田門外の変』じゃなかったかな」と思い、家にある本を見てみたら、それは安政7年で、安政6年は前年の安政5年から始まった大老 井伊直弼による『安政の大獄』の最中だった。
少しその頃の年表を書き出すと、次のようになる。
1853年(嘉永6年) ペリー来航
1854年(安政1年) ペリー再来航。日米和親条約締結
1858年(安政5年) 日米修交通商条約締結。安政の大獄はじまる
1859年(安政6年) 横浜、長崎、函館開港
1860年(安政7年) 桜田門外の変
150年前ってそんなに古い感じがしない。
横浜開港と聞いても、極端に昔のこととは思わない。
でも、安政の大獄があった頃って知ると、不思議な距離感になる。
徳川家茂が14代将軍になった頃。大政奉還まで10年近くある。篤姫の時代だ。
吉田松陰が死刑になった頃。
それまで尊王攘夷(朝廷を敬い、外国を嫌う)思想だったものが、開国、安政の大獄をきっかけに倒幕へと一気に思想・エネルギーを変えたのが150年前のことなのだ。
150年の間に、幕府はその影をなくし、日本は近代国家の仲間入りをした。
いま、日本の政治・経済は岐路を迎えている。
自民党にも民主党にも期待していないと言い始める人が増えてきたようだし、海外市場に頼ってきた産業が急速に低迷している。
150年というそんなに長くないような気がする年数で、徳川幕府末期以上の政治・経済、貿易、くわえて環境といった問題に直面していると思う。
批判がおこる中、幕府が行ったのは、反対派を権力で処罰することだった。
それがさらに自らの首をしめるとも知らずに。
日本政府、日本の企業がこの難局を耐え、再び浮き上がるには、『人材』をどれだけ集められるかにかかっているんだろう。
徳川慶喜は、こう呟いた「幕府に西郷や大久保ほどの者がいるか」と。
参考文献
カテゴリー:
Trackback
Trackback URL for this entry:


















