ダイアログインザダークに行って
April 5, 2009

「暗闇」=「恐怖」であり、
「不安」である。
ダイアログ・イン・ザ・ダークを体験するまで、そう思い込んでいた。
「闇」って言葉は、「心の闇」「闇の組織」といったネガティヴな表現に使われる。
「闇」って言葉からポジティヴなイメージを持つ人がいたら、なかなかの変わり者だろう。
ダイアログ・イン・ザ・ダークを簡単に説明すると、
1名の視覚障害者の方に先導されて、
光のない世界、
文字通りの真っ暗闇の中を
白杖(はくじょう)と呼ばれる杖を触覚として頼り、
グループ(僕の会は8名だった)で移動し、
互いに声を掛け合いながら、
(たとえば「ここに段差があるよ」って)
眼の前にいるのが誰か、ときに触れながら
(「誰ですか?」って)
コミュニケーションをとるというもの。
正直言って、はじめて会う人とのコミュニケーションは苦手な方。
でもそれが、暗闇のなかで自己紹介してみると、案外言葉がすらすらと出てくることに驚く。
見えている世界では日常過ぎて話題にならないことが、
(「右に壁があるよ」とか)
闇の世界ではひとつひとつ口にすることに意味があり、誰も当たり前とは思わない。
思えば無邪気な子供の頃は、チョウチョが飛んでいれば「あっ、チョウチョだ」って、口にし、大人から見れば当たり前なことでもいちいち口にすることで、発見を共有し、近くの人とコミュニケーションをとってきた。
「当たり前なこと」が見えなくなったことで、人は寛容になれるし、ささいなことに喜べるのだと、理屈じゃわかっていたことを、ダイアログインザダークを通じて体験できた。
冷房が当たり前じゃなくなれば、扇風機や団扇の風に当たるだけで、多いに喜べる。
製造業が停滞しているのも、世界経済の影響だけじゃなく、「当たり前」なことのハードルがあがりきってしまったことも要因だろう。
だんだんと喜びが、自然であったり、家族で一緒にいることなど、原始的な方向に向かう時期なんだって思う。
心の闇を照らす光なんて意味がないのかもしれない。
光がいつか当たり前になると、僕らの心にはまた闇が訪れる。
そしてまた光を求めてしまう。
それよりも、と思う。
闇の中で感じた発見の方が人の心を満たすのに必要なことなのかもしれない。
闇の中で触った小石の方が、なかなか手の届かない宝石よりも、人の心を満たすんじゃないだろうか。
また、参加した人は、自分のキャラクターを正直に出している、そんな気がした。
暗闇の中では外見は関係ない。
言ってみれば裸の自分を他の参加者に見せているのだと思った。
闇の中なのに見せているという感覚は不思議なものだ。
見えないなら嘘をつけるような気がする。
でもそうじゃなかった。
正直なことしか言えなかったように思う。
自分の性格、一緒に行った妻の性格の根底にあるものが、ダイアログインザダークの体験を通じて、明らかになったような気がする。
付き合うか迷っているカップル、
喧嘩中のカップル、
気まずい関係の人、
親子
一緒に行くと、相手のことがよく見えるので、いいかも。
「暗闇」は「恐怖」や「不安」から、「優しさ」に変わる時があるのだと、ダイアログ・イン・ザ・ダークで知りました。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク dialog in the dark
www.dialoginthedark.com
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