サム ライリー = イアン カーティス(『コントロール』を観て)
March 16, 2008
イアン カーティス本人の出ている映像を目にする機会があるとしたら、YouTubeにアップされているライヴ映像ぐらいだ。
ジョイ ディヴィジョンのデビューから解散まで、どんなことがあったのか知るにはCDのライナーノーツや雑誌の記事などに載った言葉からしか知るほかない。
今回、アントン コービンが映画化したことで、僕たちは知らなかった部分を映像で観ることになる。アントン コービンの責任は重大だ。なぜなら僕たちにとって、未知なるイアンの生活に、ひとつの目安を作ることになるからだ。
ジョイ ディヴィジョンを聴きながら、イアンを想うとき、映像として『コントロール』を思い浮かべるかもしれない。そしてサム ライリーのダンスを思い浮かべるのかもしれない。
失敗のできない映画だ。仕上がりがまずければ、当然のことながら、関係者(デボラ カーティスやニュー オーダーなど)が公開を反対しただろう。関係者が認めた映像だからこそ一般公開されて、僕たちは目にすることができている。
つまり、アントン コービン監督もサム ライリーほか役者陣全員、見事に責任を果たした映画が『コントロール』なのだ。
だからこれからジョイ ディヴィジョンを聴くとき、『コントロール』で観た情景を思い浮かべることに問題はないはずだ。
はっきりは覚えていないが次のようなセリフが映画にあった。
『自分じゃない誰かが、自分のフリをしているような気がするんだ』
前身バンド『ワルシャワ』のバンド名はデヴィッド ボウイの曲をもとにした。
ボウイとイアンは根本的に違ったんだろう。イアンはジギー スターダストを演じたデヴィッド ボウイのようにはなれなかった。
主演のサム ライリーについて言えば、彼の演技により僕は『映画』を観ているという意識ではなく、イアン本人が出ている映像を観ているような錯覚を随所に覚えた。
さきほど挙げた作中のセリフにあるように、サム ライリーが演じた(フリした)役を通して、イアンを完全にのっとっていたと言ったら言い過ぎだろうか。
映画のなかで使用されている楽曲の歌詞は、映画で描かれているイアンの生活をそのまま反映したもので、イアンがいかに身を削って歌を歌っていたのかが伝わってくる。
映像とともに歌詞の邦訳をみていると、音楽だけ聴いているのとまた違ったものがみえてくる。Isolation(アイソレイション)で歌う『孤立』という言葉がとても印象に残った。
当時、彼の歌う姿を、あるいは歌詞を、デボラ カーティスや恋人のアニークはどんな想いでみていたのだろうか。
『コントロール』に期待する色彩の美学というエントリーを映画を観る十数時間前に書いた。
アントン コービンの画に対する、あるいは色彩に対する美学を作品に見いだそうというものだった。
その一つを簡単に挙げるとすれば、カラーの時代にモノクロで描いたという時点で、すでに一個のこだわりを窺うことができよう。
作中でイアンの結婚指輪がいやに目立ったのもモノクロならではの効果だ。
フィクションや誇大表現に彩られた常習犯的な映画に嫌気がしたなら、この映画を観ることをおすすめしたい。ストーリーを実際以上によくみせようとするような、悪意のあるコントロールはここには存在しないから。
原作
サントラ
アントン コービンPV集
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