臆病と勇気(『翔ぶが如く(五)』より)
January 19, 2008
旧薩摩藩士は大久保利通のことを『臆病者』だと言う。
けれども実際の行動からは大久保利通に臆病なところは見当たらない。『征韓論』には確かに反対した。『征韓論』の件で、戦争不支持だったことで、『臆病者』と言われるのであれば、後にすぐ『征台論』を支持していることから、それが『臆病者』の判定にふさわしくないことがわかる。
そして、『征韓論』の一件のほかには『臆病者』と言われるような政策はとっていないように感じる。
薩摩では潔さが尊ばれる。
冷静に状況を判断し、無謀なことに挑戦しない理論的な人間はみんな『臆病者』として扱われる。
大事なところで物事をほおり投げる西郷隆盛と、なんと言われても職務をまっとうしようとする大久保利通とどちらが、僕たちの使っている意味合いの『臆病者』であるかは明白だ。
西郷隆盛の人徳と、旧薩摩藩の独特な価値観をして、『臆病者』という言葉は大久保に向けられている。
『大久保の態度、表情は、北海の氷山を見るようだ(引用)』
大久保利通の行動と、この表情は直結する。
また、つぎのような一文がある。
『大久保はたとえ汚辱の悪評をかぶるような仕事でも、自分がやらねばならないとなれば、荘重にそれをやってのけるところがあった(引用)』
思えば、西郷隆盛を筆頭にして、木戸孝允、板垣退助と、思い通りにならないと、『こんな政府を作るつもりではなかった』と職をほおり投げる癖がある。一人、大久保利通だけが、明治維新における中心メンバーとしては唯一、苦境において物事をほおり投げない。
そのために、旧主筋の島津久光や、旧友の西郷隆盛、地元の旧薩摩藩士、さらには地方士族に至までほうぼうから嫌われることになる。
先日のエントリー『卵を抱くメンドリの心境で(『翔ぶが如く(四)』より)』にあるメンドリの卵、つまり守るべき理念は、木戸孝允にとって『民権』確保といったところだろうか。
それに対し、大久保利通は強い『国権』を確立しようとしている。
維新の元勲。西郷隆盛も大久保利通も木戸孝允も、それぞれ考えを持ち、それに向かっては私心を捨てて事にあたる。ただ、西郷隆盛も木戸孝允も大久保利通と比べてねばりがない。言い換えれば、『駄目ならそれまでだ』といった潔さがある。
明治から今に至るまでの流れを眺めるに、結局のところ、このときの大久保利通のねばりだけが今に引き継がれているような気がする。
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