卵を抱くメンドリの心境で(『翔ぶが如く(四)』より)
January 14, 2008
若者が西郷隆盛に『何事かをしようと思うがどう心掛ければよいか(引用)』と訊ねたところ、『メンドリが卵を抱いているような心境(引用)』を心掛けるよう答えたとある。
これは、『メンドリが卵を抱いているとき、どんなにうまそうな餌を近づけても、またおどしても、メンドリは見むきもしなければまた逃げもしない(引用)』という意味のようだ。つまり、大事な目的がある時には他のおいしい話に気を取られず、目的を守るためには恐れを捨てろということを言っている。
征韓論に破れた西郷隆盛は薩摩で隠遁生活を送っている。この時だけではなく、西郷隆盛には、ここぞという時に大事をほおり投げて隠遁する癖があった。大久保利通は西郷隆盛が薩摩に帰る別れの挨拶をしに来た時に次のように言った。
『大事なときにお前さァ、逃げなさる(引用)』
しかし、西郷が『メンドリが卵を抱いているような心境』を持ち続けていたのだとしたら、西郷隆盛からしたら隠遁生活は卵を守るための日々だったに違いない。同じ時期、薩摩の近く佐賀で、佐賀士族に担ぎ上げられる形で前参議の江藤新平が佐賀ノ乱を起こしたときも西郷隆盛は脇目をふらなかった。
佐賀藩の江藤新平は司法省を整備し、論理家として日本史上随一という人物だった。しかしながら、内務省を担当する大久保利通と新国家構想に食い違いがあったために、結局佐賀ノ乱で殺されてしまう。この時の法律では東京で裁判が行われるはずだった。ところが大久保利通は江藤を東京につれていかずにそのまま佐賀で死刑に処してしまう。大久保利通は徹底してやり遂げなければ気が済まない人物のようである。
もし西郷がメンドリの気持ちを忘れていたら、この時期に西郷の命はなかったかもしれない。
もう一人、政府には維新の生き残りとして木戸孝允の存在がある。
西郷隆盛退去のあと、政府は台湾征伐を思いつく。主導者となったのが大久保利通と隆盛の弟の西郷従道だ。主旨は『薩摩に帰臥している西郷の気分を鎮める(引用)』という点にあった。
木戸孝允は『征韓といい、征台と言うが、それは人民のためになるのか(引用)』『人民の福利を先にし、国権の確立をあとにせよ。政府のやることは逆である(引用)』と批判した。木戸孝允の根本にあるのは『民権』であり、この言葉には維新を戦い抜いた革命家の雰囲気がある。
征韓論敗退の理由は、国家の予算、軍備が間に合っていないというものだった。にも関わらず台湾なら構わないというのでは理屈に合わない。
他の政府高官も当然のことながら反対し、大久保利通の行動に不信感を持った。冷静を超して、冷徹と評判の大久保利通のことなので、割に合わないことはしないと考えた方がよく、司馬遼太郎も作中で大久保の心理を分析しようといろいろ取り組んでいる。
いずれにせよ、西郷隆盛と大久保利通両人が決裂したことで、明治政府は大久保の独裁国家と思われても仕方のない方向に向かったようである。西郷の抱えるメンドリの卵が『士族の心』だったとすれば、大久保利通もまた、新国家構想というメンドリの卵を抱いて放さないつもりで事に当たっていたように思う。
明治政府と国民の運命が薩摩藩の二人によって左右されていたことがわかる巻だった。
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