大義と大偽(『翔ぶが如く(一)』を読んで)
December 24, 2007
断っておくと、過去と現代を単純に比較するのはフェアじゃないことはわかっている。過去は美しく語られがちだ。だけど、その分を差し引いて、歴史から得る部分があるとしたら、それをまったく無視してばかりいては成長はないと思う。
明治維新後まもない政府は、幕府時代にたいした身分を持たない者たち中心に成り立っていた。
明治以後、大正、昭和、平成の政府はどうなのか。基本的に身分を持つ者たちによる政府だというイメージを持っている(少なくとも僕の知る昭和後期と平成は)。
鎌倉幕府(源家)、室町幕府(足利家)、江戸幕府(徳川家)は150年とか250年くらいの期間で幕を閉じている。幕府の変わり目にはいろんな出自の人間が活躍する。室町幕府は織田信長によって終わった。信長は秀吉を代表に、いろんな身分の人材を広く登用したことで知られる。
いまは戦乱の世ではないし、幕府があるわけではない。
明治以降から今に至るまでの時代はひとつのくくりとして考えるのは乱暴なんだろうか。
1868年が明治元年だったとすると、来年2008年で140年になる。
2007年の今年の漢字には『偽』が選ばれた。
2006年は『命』で、2005年が『愛』。両方ともポジティブな言葉に見えるけど、選出理由をみるとネガティブな理由の方がもっともらしさがある。
自分が生まれて、暮らしている国の今年の漢字が『偽』ってのは恥ずかしい。
明治政府を形成している人物たちはすこし前までまったく無名の存在だった人たちだ。決して彼らのとった政策のすべてが正しいわけではないだろうけど、それぐらいの入れ替えをしたら、いいんじゃないかと思ってしまう。
パリにはじめて訪問した日本国使を観たフランス人の言葉が『翔ぶが如く(一)』にある。
『まったくの未知の文明が、既成の文明に挑戦したという感じでした(引用)』
『偽』って言葉が生まれる背景には失った『誇り』や『自覚』があることは素人考えにすぎないだろうか。今の政府が興る前、140年ほど前、西郷や大久保、木戸、高杉、坂本や吉田松陰の心には、『大義』はあれど、『大偽』はなかったように思えてしまうのだ。計略もすべて『大義』のためだったのではないだろうか。それに対し、今年の日本を騒がした計略はいったい何のためのものだったのだろう。
参考
2007年 今年の漢字
2006年 今年の漢字
2005年 今年の漢字
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