IT導入と征韓論(『翔ぶが如く(一)』を読んで)
December 24, 2007
『翔ぶが如く(一)』に、ヨーロッパ諸国と比べた日本の特異性についてつぎのような文章がある。
『ヨーロッパ大陸の諸国は、印欧語族という一つの言語をもち、国家といってもその方言ごとに国をたてているだけで、それぞれの文化や社会体制も各国ごとに多少の地理的差異があるにせよ、ほぼ均一性をもっている。かれらは庶民にいたるまで自国と他国と比較することが簡単で、げんに日常的にそのことがおこなわれてきている。ヨーロッパの外交はあくまでもそういう人文地理的現実の上に成立しているものであり、技術にすぎない。
が、孤絶した環境にある日本においては、外交は利害計算の技術よりも、多分に呪術性もしくは魔術性をもったものであった(引用)』
プログラム言語をかじったことのある人であれば、PHPも、PerlもRubyも大差を感じないだろう。C#、Java、ActionScriptも方言の範囲で受け入れることができるのかもしれない。そして、ITがこれまでの問題のすべてを解決する魔法ではなく、単なる技術にすぎないと知っているだろう。
一方、プログラム言語を解さない人や、Web制作やシステム構築に携わったことのない人にとって、『IT導入』とは一時期ほどではないにしろ、魔術性をもって語られることも少なくない。
司馬遼太郎は征韓論を理解するためのロジックとして「攘夷」を例に挙げている。
『幕末、欧米諸国が通商をもとめてきたとき、日本史上空前の人民レベルにいたるまでの沸騰がみられた。(中略)在野世論は、夷ヲ攘フということで一大昂揚を発し、たかが国家の利害計算の範囲内にすぎない外交問題が、革命のエネルギーに最初から変質してしまっていた(引用)』
そして、興奮した世論は「攘夷」、すなわち外国を追い払うことが、「尊王」、すなわち王を尊ぶというところまで飛躍し、倒幕へと至った。このように『外交』が、魔術力を発揮して日本国内問題に影響する点が日本の特異性なのだと司馬遼太郎は述べている。
『征韓論』もそうした呪術性をもって語られたようである。薩摩藩の桐野はつぎのようにして『征韓論』を唱える。
『桐野は、天下の不平武士たちが、汚濁にまみれたいまの東京政府をいかに激しく呪っているかを説き、政府に対してもはや蜂起寸前の情勢にある、といった。それを征韓によって一挙に解決しようというのが桐野の意見である(引用)』
内政の不満を外交のもつ呪術性で解放しようと考えていることがわかる。これを読んだとき、業務の不満をIT導入とかネットという言葉のもつ呪術性で解放しようとするのと似ていると思った。
そういう僕も、AjaxとかSNSとかWeb2.0といったキーワードに呪術性を感じていた時期もあったことは確かだ。いまもグーグルがなにかはじめると過剰に反応してしまうときがある。気をつけないとポイントを間違えてしまいそうだ。
繰り返しになるけど、司馬遼太郎は日本の特異性が外交の呪術性を生むように書いている。話はそれるかもしれないが、ヨーロッパ諸国はわからないけど、少なくともブッシュ政権も外交の呪術性を楯にしていたように思う。目くらましは現代政治においても有効だ。
主要な登場人物の一人である薩摩藩出身の川路利良は『世界一流の警察をつくりたい』と思い、それを第一優先にして実際の行動をとる。川路がフランスに行ったときの逸話を司馬遼太郎は書いている。
『かれはパリの夜を装飾しているガス灯が華麗であるとはおもわなかった。そういうぐあいに頭が働かずに、思ったのは、「これで盗賊をふせげる」ということであった(引用)』
冷静さを感じられるとともに、その根底には情熱を感じ取ることができる。ここでの川路のように、ゴールが明確だと、成果がでやすい。それに対し、桐野の考えるゴールが、政府に対し蜂起寸前の不平武士たちを鎮めることだったとすると、『征韓論』が解決ツールでは無理があることは明白だ。
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