人の真似をしちゃいかん(『竜馬がゆく(司馬遼太郎著)』を読んで)
September 25, 2008
翔ぶが如く』『花神』『世に棲む日日』と明治維新前後を扱った作品を読んだ後に、『竜馬がゆく』を読んだ。
明治維新における土佐藩の功績は『大政奉還』にある。
あくまで軍事的に徳川幕府を潰すことを目指していた薩摩藩と長州藩をなだめ、幕府に働きかけ、徳川家が政権を返したのは表向きは土佐藩の後藤象二郎の功績である。
その裏で後藤象二郎に大政奉還を勧めたのが坂本竜馬だった。
坂本竜馬が大政奉還を思いついたのは幕臣・勝海舟の影響で、『竜馬がゆく』では竜馬が勝海舟から受けた影響を多いに描いている。
幕末から維新にかけて土佐藩からは、三人の活躍が目立つ。
その三人とは、武市半平太、坂本竜馬、中岡慎太郎で、彼らに共通するのは、土佐藩のなかで藩政に関わることの許されない郷士出身であるということ、そして維新の完成を見ずに亡くなっていることである。
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iPodとかiPhoneとかと幕末の長州軍
July 22, 2008
『花神(司馬遼太郎著)』を読んでいて、気になったところがあった。
幕末、長州藩は孤立し、幕府のみならず朝廷からも政敵とされた時期があった。
幕府はついに長州を攻め、結果は長州軍が勝利した。
その勝因のひとつを勝海舟は長州兵の格好に見出した。
幕府軍が戦国時代さながらの鎧兜を身にまとった姿なのに対して、長州兵は勝海舟いわく『カミクズヒロイ』のような格好だったという。
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幕末の蘭学とオープンソース
June 12, 2008
司馬遼太郎の『花神』を読んでいる。幕末の話だ。
日本はオランダにだけ、長崎出島への出入りを許していた。
シーボルト(実はドイツ人)によって、蘭方医学が日本に普及した。
黒船来航により、海外の脅威が深まると、幕府をはじめ諸藩ではオランダの本から大砲や蒸気船の作り方を学ぼうという気運が高まった。オランダ語を理解するものが少なかったため、蘭方医は貴重な存在となり、村田蔵六(のちの大村益次郎)も百姓出身ながらひっぱりだことなる。
そんな幕末の蘭学について、次のような記述があり、面白いと感じた。
新着のオランダの珍本はできるだけ早く日本語訳して天下の同学の士にひろめるというのが、このころの蘭学者の習慣のようになっていた。[花神より引用]
オープンソースの世界全般でこのような動きがあるのかは知らないけれど、この記述はFlashやActionScriptの世界に関して言えば、そのまま当てはまる。いろんなブログで英語圏の新しい技術や、自分で見つけた技術について無償で公開されている。
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動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し(『世に棲む日日(三・四)』を読んで)
April 26, 2008
世に棲む日日 第三巻の高杉晋作の行動は目まぐるしい。
伊藤博文が晋作を評して『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し』と言ったのももっともだ。
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丈夫見る所あり、決意して之を為す(『世に棲む日日(二)』を読んで)
April 20, 2008

たれがなんといっても、男児がいったん決意したことは、たとえ富士山が崩れ、刀水(利根川)が枯れるというような異変があっても志をかえることはできない、という意味である。(世に棲む日日より)
国禁を破ってペリーの船に乗り込み、渡米を決意した吉田松陰が残した言葉。
松陰はまた次のようにも語る。
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欠点もまた魅力なり。時に過激に、パンクロッカーが如く(『世に棲む日日(一)』を読んで)
March 29, 2008
『匹夫匹婦といえども、事にのぞんでは責任をとり、自殺する。しかしながら大丈夫というものは死を重んずるものだ(引用)』
脱藩の罪で国元へ護送される際の吉田松陰の言葉だ。武士の言葉でもなければ、志士の言葉でもない、近代世界の大人の言葉といってもいいのではないだろうか。
こうした言動からはこれから述べる彼の欠点は不釣り合いのようにも思える。
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楽天家、吉田松陰(世に棲む日日(一)を読んで)
March 20, 2008
『翔ぶが如く(司馬遼太郎著)』は維新後の10年が舞台だ。
その時期に長州藩出身者で要職についている者と言えば、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文、山県有朋がまっさきに挙げられる。
この時、すでに吉田松陰、高杉晋作の姿はない。彼らの活躍は維新の前に限られる。『世に棲む日日』を読もうと思ったのは、明治政府での長州藩出身者のいずれもが、薩摩の西郷隆盛、大久保利通と比較した場合に人物の劣ることは否めないと思ったからである。本当の長州藩出身者の凄さは維新前にあるのではないか、そう考えて、吉田松陰、高杉晋作を主人公とする『世に棲む日日』を読む気になった。
といってもまだ文庫本の第一巻を半分ほど読んだだけである。
けれども半ば時点ですでにいろいろと考えさせられる描写があり、吉田松陰の持つ魅力の一端に触れた気がした。
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読みおえて(『翔ぶが如く(十)』)
March 9, 2008
明治十一年、大久保利通は暗殺された。西南戦争で西郷隆盛が破れ、木戸孝允が病死した翌年のことである。
第十巻では薩長が誇る維新の元勲たちの最期を描いている。
敗戦が濃厚になったある日、西郷隆盛は従僕を故郷に返した。そのとき従僕が西郷の荷物にあった金子を西郷の妻に届けようと申し出た。
この申し出に対し、西郷隆盛は次のように言ったという。
『そン金は、手元金じゃごわンどんからん(手元金ではあるが)実は私学校の軍資金ではごわはんか(引用)』
つまり、軍費なのだから、私物化することはできないということだ。
西郷隆盛の潔白と魅力はこのようなところにもあったのだろう。
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日本古来の合戦の慣習(『翔ぶが如く(九)』を読んで)
March 1, 2008
この巻の主役は西南戦争の大将とおおかたの人が思っている西郷隆盛でも、西南戦争の引き金をつくった大久保利通でもない。
9巻は桐野利秋、ただ一人のためにある。
西郷に気に入られ、出世したこの男は勇卒はあるが、名将ではなかった。これは彼だけに言えることではない。同じく西郷隆盛が重宝した篠原国幹も、桐野利秋と同様のタイプだ。
彼らの言い分はこうだった。
西郷隆盛を擁すれば全国の不平士族が立ち上がり、たちまち政府は転覆する。
ところが薩摩の蜂起にまともに反応したのは熊本士族だけだった。
将器があったのは村田新八や永山弥一郎だ。
二人とも内心は西南戦争に反対ながら、西郷隆盛のことを想い、力を貸した人物である。
永山は従軍中に『自分は反対したのだが。などということは、ついに言わなかった(引用)』とある。なんとも男らしい。
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囚われ人が如く(『翔ぶが如く(八)』を読んで)
February 23, 2008
『薩軍本営には、継続して全般の作戦を考えている参謀職の者がいなかった(引用)』
西南戦争で西郷隆盛が作戦を述べることはなかった。桐野利秋、篠原国幹がその時その時の作戦を決めた。でも彼らは戦略をたてて、継続的になにかに挑むタイプの人間ではなかった。
彼らの作戦は、大雑把で戦略らしい戦略はなかったようだ。
西郷隆盛を担げば、その人気によって全国の不平士族たちがこれに賛同し、東京の政府は転ぶ。
薩軍の幹部が考えていたのはその程度のことだった。
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政治家、人望家、評論家。自由なのは誰か(『翔ぶが如く(七)』を読んで)
February 6, 2008
大久保利通と、同じく薩摩藩出身の川路利良が西郷隆盛に対して刺客を放ったという説があるようだ。
明治九年末から明治十年にかけての出来事である。
明治十年は西南戦争が起こった年だ。
佐賀や熊本、長州で乱が起こったとき、西郷隆盛は決して自ら立ち上がろうとはしなかった。
周囲の者に対して、他の乱との雷同を戒め、それだけでなく、反乱そのものを『百姓が兵禍に苦しむ、反乱は国家最大の不祥事である(引用)』とも言っており、最終的に薩摩を立たせたのは冒頭に書いたような政府からの挑発であるようだ。
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覚悟の上での廃刀令(『翔ぶが如く(六)』より)
January 20, 2008
廃藩置県、廃刀令、徴兵制、そして西洋化。
江戸から明治になってこれらのことが一気に行われた。改革は各地の反乱を生んだ。でも結果として、それらの乱は抑えられ、旧幕府時代の仕組みに戻ることなく、今に至っている。
明治政府は成立直後から瓦解の恐れを持っていた。江戸幕府は徳川家康という絶対的な大将がいて、徳川家康の恐ろしさは各地の大名家が知っていた。明治にはそのような存在はおらず、とにかく改革を急いで国権を強くする必要があった。
廃藩置県、廃刀令、徴兵制はかつての身分制度を崩壊させるものだ。
各藩の藩主および一族、家老など重役からすれば、藩がなくなるというのは、自分たちの地位、生活をおびやかす大きな変化である。旧藩主筋の人たちからすれば、明治政府を仕切っているのはかつての家来たちである。当然のことながら、面白くない。


















